日本人であること

二週間実習にいらしていた日本の獣医大学の学生さんたちと先生方が実習を終わらせ、帰途に着かれました。どうなることかと思っていましたが、最終日に学生さん方が、大変楽しかったと感想をおっしゃて下さり、ほっとしました。毎年、毎年、学生実習でいらっしゃる獣医さんの卵たちとお目にかかってお話をすると,
パワーを分けていただけるし、彼らの質問、疑問などに刺激され、こっちもマンネリにならず頑張ろうかな、と思わさせられます。今回もそうやって刺激をいっぱい頂きました。今回日本の学生さんたちとお話して、また日本の大学教員たちとお話して、やはり、私は日本人であるということを思いました。ツーといえばカーであるというような、相互で、おしゃべりの方向性が見えやすく、流れに簡単にひょいと乗っていけることがとても楽しかったのです。もちろん長く海外に出ていますから、今の流行の言葉やテレビの話にはまったくついていけません。しかし、何か、奥の方に流れる感覚が一緒なのです。それを感じて本当に気が楽でしたし、自分が日本人であることを思い知らされました。まあ、最近特に病院でアメリカ人たちの下で働いていて、ここアメリカの文化の根底に流れる自己中心性に辟易しているからかもしれませんが。(注:私のボスをはじめとする、周りが特にそうなので、アメリカ人全員が究極の自己中心主義者ではありませんので。。)
さらに、日本の大学教育についても考えさせられました。私の場合は今回は獣医教育しかみていませんが、日本の教育はどうも一方通行であったなと思わさせられました。私が大学生の頃、教授が教壇上で講義をし、私たちは黙ってそれをノートにとって、試験になれば、ノートと教科書の丸暗記をテスト用紙にぶちまけるというものだった気がします。アメリカでも大人数の教養課程の授業は日本と同じやり方をしますが、学年があがって専門性が濃くなっていくと、アメリカの教育法(獣医学)は学生たちに考える力をつけさせていく気がします。私も今教える立場に立つので、一生懸命学生に答えを導かせるような教育法を取り入れて獣医学生が社会に獣医師として出たときに自分たちで考えられるように訓練をしていますが、実習にいらしていた日本の獣医学生の方は、先生からの考えさせるための質問にいったい自分たちが答えていいのか悪いのか、どうしたらいいのか、本当に困っていらしたようです。また、口に出して答えなくても、答えを自分の中ででも出していく方法が分からなくて困ったとおっしゃっていました。
今回学生さんたちとお話して、日本の一方通行の大学専門教育(獣医学)の授業は考える力を養わないし、社会に出てからも遭遇するであろう問題の、その解き方が常に一次方程式のよう(a と来たらb、 c と来たらd)になるなと思いました。本来は、「aと来たら通常はそれこれの理由でbであるが、それこれでなかった場合は、aがAとなる可能性もあるから、そのときはそれこれの理由で、選択はdにもなる。しかし、これこれの条件では。。。」というやわらかい答えを学生が自ら導き出せるような教育をしたらいいのに、と思ってしまいました。
こんな立場で偉そうなことを失礼しました。。。。。